年間行事
普門寺で勤められる年間の仏教行事のご紹介です。
古より脈々と受け継がれてきた、歴史と伝統を感じていただく機会です。
ご参拝をお待ちしております。 合掌
1月18日
初観音
毎月18日は「観音さまのご縁日」です。1月18日は「初観音」として諸所の観音さまに人々が参詣します。
法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(いわゆる観音経)には、観世音菩薩は「観音さまには慈悲深い徳があり、私たちの救いの求めに応じて三十三の姿に変える」と記されています。これがいわゆる三十三観音です。観世音菩薩さまは古くから観音信仰として広く人々の信仰を集める尊格です。観音さまのご縁日には、どうぞ当山へお参りください。
3月
春彼岸
8月16日
施餓鬼会


お彼岸は春と秋の年2回、昼と夜の長さが同じになる「春分の日」と「秋分の日」の前後3日間を含めた1週間を期間とします。昼と夜の長さが等しいことを、苦と楽のどちらにも偏らないお釈迦さまの修行方法である「中道」にたとえ、この期間でお釈迦さまの教えを身につけようとするものです。彼岸とは、正しくは「到彼岸(とうひがん)」といい、古代インドのことば、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜:はらみつ)」の訳語です。
彼岸は彼の岸(向こう側)である悟りの世界を意味し、「此岸(しがん)」は此方の岸である迷いの世界を意味します。ですから到彼岸とは、此岸から彼岸川を渡って向こう岸に到ることを象徴した言葉です。この時、此岸から彼岸へと川を渡る舟にたとえられるものが「六波羅蜜行(ろっぱらみつぎょう)」で、「布施(ふせ)=施しをすること」「持戒(じかい)=十善戒を守ること」「忍辱(にんにく)=耐え忍ぶこと」「精進(しょうじん)=向上心をもって生活すること」「禅定(ぜんじょう)=自分の心を見つめること」「智慧(ちえ)=ものごとを正しく判断する力を磨くこと」を実践することをいいます。これは自分自身だけでなく、多くの人と共に悟りを求め、充実した生活を送ることを願ったものです。ですから、本来は日常生活の中にこそ、彼岸を求める行為がなくてはなりません。しかし、日々の生活に追われていると、大事なことと思いつつも、ついおろそかになりがちです。だからこそ、せめてお彼岸のあいだは、腰を据え、しっかりと考える時間を持ち、心安らかに、自分の生活のあり方を考えてみてはいかがでしょうか。彼岸のお中日(9時~15時)には当山本堂にて「普門寺写経会」を開催しています。「写経は初めて」という方でも大丈夫です。檀家さんでなくても体験できますので、どうぞお気軽にお越しください。












お施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう)』に説かれる物語です。この物語の主人公は、お釈迦さまの身の回りの世話をし、お釈迦さまのそばで一番多くの教えを聞いたので「多聞(たもん)第一」といわれる、「十大弟子」の一人、阿難(あなん)尊者です。ある日、阿難尊者が一人修行していると焔口(えんく)という餓鬼が現れ、「阿難よ、お前の寿命はあと三日で尽きる。死んだ後は餓鬼道に堕ち、私と同じような醜く恐ろしい姿の餓鬼になるだろう」と告げました。びっくりした阿難は餓鬼に、「どうしたらその苦をのがれることができますか」と尋ねます。すると餓鬼は答えました。「明日の朝、無数の餓鬼とバラモン(司祭者)に、多くの飯食(おんじき)を布施しろ。そうすれば、その功徳によってお前の寿命は延び、私も餓鬼の苦を離れ、天上に生まれることができるだろう」。しかし、そんなに多くの飯食を一晩で用意することはできません。困った阿難はお釈迦さまに助けを求めました。するとお釈迦さまは、施餓鬼の陀羅尼(だらに)を示し、「心配しなくてよい。この陀羅尼を唱えながら食物を布施すれば、無数の餓鬼、そしてバラモンに心のこもった施しをすることになるだろう」と教えました。そして阿難は、この教えのとおり餓鬼に布施をして、無事に死をのがれ、餓鬼は苦しみから救われたのでした。ここに出てくる餓鬼とは、地獄・餓鬼・畜生という「三悪趣(さんあくしゅ)」の一つで、飢えと渇きに苦しむものをいいます。餓鬼は、水を飲もうとしても水が血の膿となって飲むことができず、喉が針のように細いので食べ物を飲み込めない、そして口から火を吐いているので食べ物が燃えて口に入れることすらできないのです。限りない物欲(ぶつよく)を象徴しているのが餓鬼です。そして阿難尊者が見たものは、自分の心の中にある物欲にほかなりません。物欲に支配されていると、自分本位に走り、人を差別したり、傷つけたりします。そこでお釈迦さまは、物欲に支配された醜い心を洗い、清らかにしていく手だてとして、布施の修行を示したのです。このように、私たちが生きていく上で避けて通れない「食欲」をたとえにして、「もの惜しみをせず」人間らしく生きていく道を教えてくれるのが、お施餓鬼の法要なのです。
当山では毎年8月16日14時より大施餓鬼会法要を行っています。施餓鬼の法要では餓鬼道に堕ちてしまった霊を供養するとともに、亡き人やご先祖様を供養し、三界万霊(この世に存在する有縁無縁すべての御霊)を供養いたします。ですので、仏さまの居ない檀信徒の皆様も是非ご参拝ください。
9月
秋彼岸


お彼岸は春と秋の年2回、昼と夜の長さが同じになる「春分の日」と「秋分の日」の前後3日間を含めた1週間を期間とします。昼と夜の長さが等しいことを、苦と楽のどちらにも偏らないお釈迦さまの修行方法である「中道」にたとえ、この期間でお釈迦さまの教えを身につけようとするものです。彼岸とは、正しくは「到彼岸(とうひがん)」といい、古代インドのことば、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜:はらみつ)」の訳語です。
彼岸は彼の岸(向こう側)である悟りの世界を意味し、「此岸(しがん)」は此方の岸である迷いの世界を意味します。ですから到彼岸とは、此岸から彼岸川を渡って向こう岸に到ることを象徴した言葉です。この時、此岸から彼岸へと川を渡る舟にたとえられるものが「六波羅蜜行(ろっぱらみつぎょう)」で、「布施(ふせ)=施しをすること」「持戒(じかい)=十善戒を守ること」「忍辱(にんにく)=耐え忍ぶこと」「精進(しょうじん)=向上心をもって生活すること」「禅定(ぜんじょう)=自分の心を見つめること」「智慧(ちえ)=ものごとを正しく判断する力を磨くこと」を実践することをいいます。これは自分自身だけでなく、多くの人と共に悟りを求め、充実した生活を送ることを願ったものです。ですから、本来は日常生活の中にこそ、彼岸を求める行為がなくてはなりません。しかし、日々の生活に追われていると、大事なことと思いつつも、ついおろそかになりがちです。だからこそ、せめてお彼岸のあいだは、腰を据え、しっかりと考える時間を持ち、心安らかに、自分の生活のあり方を考えてみてはいかがでしょうか。
11月23日
十夜 護摩祈祷










当山では、毎年11月23日に「十夜」を執り行っております。当日は午前10時より境内の観音堂において、護摩供修行を勤修いたします。古くから、地元の農家の方々が育てた野菜などを持ち寄り、観音様のご宝前にお供えし、五穀豊穣や家運隆昌を祈念してきました。また、観音経にあわせて太鼓を打ち鳴らしたり、お念仏を唱えたりする伝統が受け継がれてきました。しかし近年、職業や環境の変化により、お念仏を唱える方や太鼓を打つ方が徐々に少なくなり、現在では護摩供法要のみが引き継がれています。当日は、賽銭箱の前にてどなたでもお参りいただけます。どうぞお気軽に足をお運びください。



