武蔵国三十三観音霊場の第二十四番札所
お知らせ
令和6年能登半島地震お見舞い
2024年1月1日から断続的に発生している石川県能登地方を中心とした地震災害で、被災された皆さまに衷心よりお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復興を祈念いたします。 合掌
永代供養塔完成のお知らせ
「普門寺 永代供養塔」が完成いたしました。詳しくはこちらを御参照ください。
縁起
観音堂
真言宗智山派の普門寺は、正式名称を熊野山(ゆやさん)観音院普門寺といい、安行原密藏院の末寺で、正確な開山がいつ頃であったのか、明らかではありませんが、文永4年(1267)の板碑がある事から740年以上の歴史があると推測できます。御本尊は、県内でも珍しい胎蔵界大日如来で、平成20年(2008)に行った本堂新築事業の際に修復しています。
小島庄右衛門正重と内室の墓石
小島庄右衛門正重(以下、正重)は、江戸川開削の治水事業など、開発に貢献した人物。唐破風、懸魚を付した笠付角柱形、正面に“釈正済居士霊位”建立年寛文八年戊申4月28日とあります。この正重の石塔と並んで夫人の墓が建てられています。晩年、粕壁宿付近の宝珠花に小流寺を建立し、その墓域に正重の墓はあります。
重要視された人物については、異なる場所に同一人物の墓石が確認されることがあり、当山にある正重の墓石もそうであると思われます。
境内には、正観世音菩薩(秘仏)を安置している朱塗りの観音堂があります。観音堂棟木・天井の桟の墨書銘によると、普門寺の観世音菩薩・不動明王像・十王像・毘沙門天の各像は、恵心僧都(942~1017)の御作です。
寛文12年(1672)お堂が大破した際に、損傷した仏像を修理し、観音堂跡に新しく御堂を再建するために延宝3年(1675)12月から千日念仏供養を行い、道俗一切一連の信者等、多くの人々が力を合わせ、諸願成就・二世安楽を祈願し、延宝6年(1678)7月10日、三間四面造りの観音堂が完成しました。また、棟木墨書銘に「干時、普門寺の住職中興第5世実葉が勧進の導師を勤めた」と記してあることからも、非常に多くの人々の篤い信仰があったことがうかがえます。
武蔵国三十三観音霊場の第二十四番札所となっており、堂内の厨子の扉は12年に一度、午年の4月に11日間だけ開かれます。
近年では、平成2年(1990)茅葺き屋根を銅板に葺き替える等の大修理を行い、平成26年(2014)には御本尊と厨子の修復を行い、現在に至っています。
境内諸尊
山門より境内に入った右側には六地蔵尊が祀られています。それぞれの石像には、左側には建立年月日[正徳2年(1712)9月24日]と施主名が、右側には願意が書かれています。また、観音堂の傍にある庚申塔と青面金剛像はいずれも元禄6年(1693)~享和4年(1804)の間に建立された記載があることから、庚申信仰が非常に盛んであったことがうかがえます。
SAITAMA KAWAGUCH
写経・写仏のおしらせ
当山では、春彼岸中日(春分の日)と秋彼岸中日(秋分の日)の9時から15時まで、本堂にて写経・写仏会を開催しております。写経・写仏に必要な道具はご用意しております。すべて椅子席ですので、お気軽にお越しください。終了後、お茶お菓子の席でお休みください。
納経料:1,000円